コンスタンツ滞在記(渡部美由紀)
発表:2010年6月13日
コンスタンツ滞在記
渡部美由紀
(名古屋大学大学院法学研究科准教授=発表当時)
1 はじめに
○プログラム:Humboldt Research Fellowship for Experienced Researchers
(対象:博士号取得から4年以上12年以内の研究者、3年間で最大3回に分けて計18カ月)
2007年末申請⇒2008年3月のセレクションで決定通知
同年7月31日渡独。2ヶ月間の語学研修を経て(フライブルク・ゲーテインスティトゥート)、10月1日から2010年3月20日まで、コンスタンツ大学法学部で在外研究
夫は、急遽休業し子育て・家事担当として同伴。当時子供は3歳。
2 研究テーマ
○少額拡散損害に対する集団的権利保護制度の研究
各人の損害が重大〈例:大規模事故による損害〉
⇒問題は裁判所における多数当事者訴訟の処理
各人の損害が少額(例:牛乳の量のごまかし(100mlのところ90mlしか入っていないなど)
⇒個々の消費者が裁判に訴えるというモチベーションが低い
多数被害者の存在、特定も困難
(しかし業者の利得は大きい)
○従来の民事訴訟制度
救済を求めることができるのは基本的に損害を被った者、判決は相対効
- ・・少額拡散損害類型への対応の限界
被害の予防・拡大予防策?
↓
団体訴訟(Verbandsklage)制度:特定の団体に不当行為・不当条項利用差止請求権等を付与
→(日本)消費者団体訴訟制度の導入(2007.6.7)
さらに企業が得た利益の吐き出し?損害賠償請求?
cf.クラスアクション(アメリカ)
- ・・国により制度が異なり混沌とした状況
⇒わが国に適合する救済スキームの構築、団体が受けた判決の効力の検討
3 フライブルクでの語学研修
○月曜~金曜・午前中の研修
クラスメイトの出身:イタリア、フランス、スペイン、ギリシア、ポーランド、クウェート、アメリカ、
ブラジル、ベネズエラ、中国、韓国、日本
○住まい
民間の家具付住居を不動産会社の仲介で(ゲーテの寮には子供が入れなかったため)。
屋根裏(日本でいう4階)で当然階段はなく、ワンルーム35㎡。
家賃700ユーロ。不動産会社への手数料450ユーロほど。
4 コンスタンツへ
○コンスタンツ
ボーデン湖畔の非常に風光明媚な街。スイスとの国境に位置する。ドイツでは保養地として知られる。人口82000人弱(人口構成をみると18~25才、75~85才の層(学生・年金生活者)が多い)。
○ 「国境なき町glenzenlose Stadt」
コンスタンツではよく「glenzenlos」という言葉が聞かれる。
従来、中央駅のホームはスイス側とドイツ側とに二分されていたが、スイスのシェンゲン協定への加盟に伴い、国境の駅の役割は著しく低下。先月中旬には、ドイツ駅にスイス駅の切符売り場が統合された。パスポートチェックはほとんどなく、国境を越えている感覚はあまりない。また、ボーデン湖はドイツ・スイス・オーストリアに面しており、コンスタンツから船にのれば、感覚なく越境。
コンスタンツの物価はほかのドイツの町と比較して高い。コンスタンツ住民によればその理由はスイスの物価が高いため、その影響を受けているのだろうとのこと。物価の高いスイスから日用品を買いに来る者が非常に多く、駅前の商業施設客の約4割がスイス人といわれている。逆に「ガソリン」「コーヒー」「チョコレート」は、ドイツからスイスに買いに行くようだ。スイスはEUに加盟しておらず、通貨も異なるが、スイスとドイツの間の人の行き来は頻繁。大学でも、国際民事訴訟法講義の受講生が非常に多い。
5 コンスタンツ大学での研究生活
○受入教員:Prof.Dr.Astrid Stadler(専門:民事訴訟法、民法)
法学部唯一の女性教員。全教員数に占める女性教員の割合は日本以上に小さい印象。講座では、年に何度か教授のお宅に招かれ、教授とご主人のお手製の食事をごちそうになったり(!)、ざっくばらんに法律の話など(中国法等も)をしたりした。また、講座でハイキングにも行った。講座には、同時期に中国から2人のゲストが来ていた。
○コンスタンツ大学
コンスタンツ大学は鉄道の駅からバスで15分くらい山に登ったところにある。1966年にできた大学はコンパクトにまとまっており、アカデミックというよりモダンな感じといえるか。学生数は10000人程度で、それほど大きな大学ではない。校舎は全体で20近い棟が複雑に組み合わされており、迷子になりやすい。連邦と州がドイツの大学の国際競争力を高めるために行っている「エクセレンス・イニシアティブ」(エリート大学に重点的に予算を配分する)で、2007年度にその一つに選ばれたことにより注目を浴びるようになった。
○図書館
ドイツ語圏の大学の図書館ランキング(BIX(Bibliothekindex)):2008年第1位。開館時間が長い(月曜8時~金曜23時まで24時間開館(土・日は9時~23時))。本はすべて開架。
○語学
ウェルカム・センターがゲスト研究者とその配偶者用にレベル別にコースを提供。ウェルカム・センターは、大学のゲスト用に設けられた部署で、語学コースのほかにも、役所での手続その他に親身に相談に乗ってくれた。
6 学生の教育ストライキ"Bildungsstreik Konstanz"
6月には学生ストがあり、評議員ホール等が占拠された。70名ほどの学生が参加したとのこと。ここ10年くらいの大学改革に対する不満が原因。
① 授業料(Studiengebühren)の導入
バーデン=ビュルテンベルク州では2007年から一律の学費を導入(1セメスターあたり500ユーロ)。経済格差が教育格差を生むことに対する批判も。また、「エクセレンス・イニシアティブ」に対する批判も聞かれた。
② ボローニャ・プロセス(ヨーロッパ全体の高等教育制度を平準化しようという動き)
従来の制度:修士(Magister)・ディプロム(Diplom)・国家試験(Staatsexamen)
→新制度:3年制の学士(Bachelor)と2年制の修士(Master)
新制度ではヨーロッパ内での学生の活発な交流が目論まれていた。しかし、実際には各年次・各セメスターで履修すべき科目がほとんど決まっており、かつその数もかなり多くなっているため、留学する学生は減ってしまい、第一の目的であったはずの学生の国際的流動化とは逆の結果に。さらに、学士から修士への進学(修士課程への入学には別途試験を受ける必要がある)はなかなか難しいようだ。他方、企業は、旧制度と同じ5年の修了年限である修士号を要求することが多い。
7 コンスタンツでの生活
○住まい:大学のゲストハウス。68㎡で710ユーロ。
○食:街で日本食を入手するのは至難の技。必要な時はインターネットを利用してデュッセルドルフ近郊の日本食材店から買うか、チューリヒの日本食材店から買った。コンスタンツに住む日本人でまとめて、オランダの魚屋から月に一回魚を共同購入していた。
コンスタンツ在住の日本人:20名程度とのこと。
○自転車:自転車道がよく整備されていて、自転車は猛スピードで走っている。慣れるまではつい自転車道を歩いてしまってどなられた。
○ごみ:Gelber Sack(リサイクル可能なもの(アルミ製品、プラスチックなど))、古紙、それ以外のRestmuell。
○子供手当(Kindergeld):当初月164ユーロ、2010年から184ユーロ(第1子および第2子)。(第3子は190、第4子以降215ユーロ)。
○騒音問題:ゲストハウスでのトラブル
8 子育てとドイツ文化
ドイツでは、社会性を育てるため、他の子供と遊ばせるためということで、3歳まで待たずに1歳半ごろから子供を保育園に預ける親が多いそうだ。もっとも隣町(スイス)では非常に保守的で、5歳までは母親が手元で育てるべきだという意見もまだ根強い。待機児童問題はないということ。
3歳の息子が通ったKITA(Kindertagesstaette)はSeezeitという生協のような団体(Studentenwerk)によって経営されていたため、保護者のほとんどはコンスタンツ大学関係者(教員の子供、学生の子供)。日当たりのよい遊び場があり、室内も広く、台所、工作室、昼寝部屋まであった。コースは3種類あり、①9時半(あるいは7時半)から午前中、②給食を食べて2時まで、③5時まで。息子は③のコースで、月224ユーロ。クラスは日本のように年齢別ではなく、2歳から5歳児まであわせて縦割り、1グループ18人程度に保育士が3人(全部で3グループ。そのほかに乳児クラス)。1つのプログラムにみんなが従う日本とは違って、午前中はだいたいお絵描き、工作、外遊び、読書といった3つくらいプログラムの中から子供たちがその日の気分で自由にやりたいことを選んで遊ぶ。その後、お昼を食べて、昼寝をする子は自由に昼寝をする。朝ご飯は食べてこない子供が多いらしく、みんな朝食を持参するよう言われた(パン、野菜、果物など)。息子は半年目くらいから少しずつドイツ語を話すようになり、1年たってから他のドイツ人の子供と同じように話すようになった。日本人は息子だけで、女の子たちがよく面倒を見てくれた。
子供たちが楽しみにしているのは数々のイベント。夏には親もみんな一緒に保育園の庭でバーべキュー。パンを焼く。それからラテルネンフェスト(聖マーティンの話をしてからランタンをもってKITAの近所をまわる)。ファスナハトには仮装していく。そのほかに、誕生日会。自分の子供が誕生日の日にはママはケーキやグミなどのお菓子をたくさん持って行く。クリスマスパーティーももちろんあり、靴下を持っていくとニコラウスがプレゼントを入れてくれる。保育園の行事を通じて、ドイツ文化に触れることができた。
9 病気と事故
入院で、ドイツの伝統である「kaltes essen」を体験することになった。
(左は手術翌日の夕食)
10 帰国
帰国後、情報のギャップは感じなかったが(日本の情報はインターネット等で容易に得ることができるし、日本のDVDをレンタルすることもできた)、時間の流れの違いにとまどう。なぜ、日本では急かされている感じがするのか。休むことの重要性を感じる。目下の悩みは子供の語学力をどう維持するか。
最後に、言葉では言い表せないほど非常に貴重な体験を可能にしていただいたフンボルト財団に心より感謝を申し上げる。